【感想】韓国映画「君と私」を観たら、とんでもない傑作だった。(ネタバレ解説あり)

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パルコさんからお話をいただき、「君と私」という韓国映画を鑑賞した。

これがまた、とんでもない傑作だった。

2021年韓国で公開され青龍映画賞で最優秀脚本賞と新人監督賞の二冠を獲得した作品である。4年の時を経て、11月から日本の劇場での公開が始まった。

監督は「D.P.」で世界から注目された俳優チョ・ヒョンチョル。私にとっては「ホテルデルーナ」のサンチェスの役の印象が強い。

チョ監督は学生時代から芸術の才能に優れていたそうで、高校時代の同級生でいま韓国で最も人気の俳優パク・ジョンミン(本作にも出演)は彼の才能に圧倒され、映画制作の道を諦め演技科を選択したと告白している。

「君と私」は、韓国・安山(アンサン)の自然豊かな街で暮らす2人の女子高校生のある1日を描いた作品である。

生命力に溢れ、かわいらしく、いじらしく、美しいセミとハウン。

自分の気持ちが何かを考え、それを伝えようとすることに必死で、相手の事情や気持ちを考える余裕はない。

当人たちは必死なのだが、側から見るとただただ愛おしい。

特に私が感じた彼女たちの強みは思ったことをそのまま話す点である。韓国では親しい仲なら本音を伝えるべきだと考える人が多い。なので韓国で日本文化を紹介するコンテンツや教材では日本の「本音と建前」について取り上げることがある。私は昔から親しい友達であるほど、相手がどう思うかを気にしすぎて自分の本音を伝えられないことが多かった。けれども韓国語を話す時は結構思ったことをそのまま言える…というか、言うようにしている。仲良くなったのに建前を使うことをひどく嫌う韓国人が多いからだ。また、韓国語の言葉遣いや語感も本音を言いやすい特徴を持っていると感じる。

私は韓国語という新たなコミュニケーションツールを手に入れてからやっと臆することなく本音で言えるようになったのに、彼女たちは高校生の段階でそれができているのが心の底から羨ましかった。

リアルな女子高校生の말투(言葉遣い)や仕草を反映するために、監督は講師のバイトをして実際の女子高校生を観察研究したらしい。俳優たちの見事な演技力も相まって、本当に作った感のない本物の女子高校生をその場で見ているようだった。

ここまでの説明で映画が気になった人は、ここでスクロールをやめて、映画館に向かってほしい。ぜひ他の情報を入れずにまずは劇場で、女子高校生たちの生命力の瑞々しさをただ感じてほしい。(上映館はこちら

そして映画館から出たら、ここから先の内容を読んで2回目の視聴をしてほしい。

実は、この映画はただの青春映画ではない。

ここから先は、2回目以降の視聴に向けた解説と感想になる。

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「あの日」の1日前

この映画の主人公セミは、次の日修学旅行で船に乗って済州島へ向かう。

その船の名前はセウォル号。

2014年4月16日、韓国史上最悪の海難事故を起こした船である。

当時船にはタンウォン高校の修学旅行生と教員339名が乗船し、うち261名が命を落とした。3名(学生2名、教員1名)はまだ発見されていない。

映画の終盤にハウンが納骨堂を訪れ、帰りバスの中でひとり泣くシーン。

カフェでバイト中のハウンが机から落ちそうなコップを見て止まるシーン。

草むらでセミが横たわるシーン。

セミがもうこの世界にいないことを意味している。

被害者として描かない。(日韓の作品紹介の違い)

日本向けの宣伝には「セウォル号沈没事故を題材に…」とあるが、韓国での映画の説明を見るとあくまでも「修学旅行を翌日に控えた女子高校生の話」という表現に終始している。

Netflix KoreaやTVING、ソウル独立映画祭の作品紹介ページを見ても、どこにも沈没事故の説明はない。「セウォル号」の文字すらない。

수학여행을 하루 앞두고 불길한 꿈을 꾼 세미. 불안한 마음을 떨칠 수 없는 세미는 오랫동안 숨겨온 진심을 절친한 친구 하은에게 고백하기로 한다.
修学旅行を翌日に控え不吉な夢を見たセミ。不安な気持ちを拭えないセミは長い間隠してきた本心を親友ハウンに告白することにする。

Netflix Korea

“오늘은 너한테 꼭 하고 싶은 말이 있는데”
수학여행을 하루 앞둔 오후, 세미는 이상한 꿈에서 깨어나 하은에게로 향한다. 오랫동안 눌러왔던 마음을 오늘은 전해야 할 것 같은 기분이 들었기 때문이다. 하지만 넘쳐 흐르는 마음과 달리 자꾸만 어긋나는 두 사람. 서툰 오해와 상처를 뒤로하고, 세미는 하은에게 진심을 고백할 수 있을까?
「今日は君にどうしても言いたいことがあるんだけど」
修学旅行を翌日に控えた午後、セミは妙な夢から目覚めハウンのもとに向かう。長い間胸の内にしまってきた気持ちを、今日は伝えなければいけないような気がしたのだ。しかし溢れ出しそうな思いとは裏腹に、何度もすれ違ってしまう2人。不器用な誤解と傷を乗り越えて、セミはハウンに本当の想いを告白できるのだろうか?

TVING

수학여행을 하루 앞둔 어느 날. 세미는 단짝 하은이가 죽는 꿈을 꾼다. 놀란 마음에 병원에 입원해 있는 하은이를 보기 위해 조퇴하는 세미. 세미는 무리를 해서라도 하은이를 수학여행에 데려가고 싶다. 하지만 하은의 태도는 어딘가 미심쩍고, 세미의 의심은 결국 폭발한다.
修学旅行を翌日に控えたある日。セミは親友ハウンが死ぬ夢を見る。驚き病院に入院しているハウンに会うために早退するセミ。セミは無理をしてまでもハウンを修学旅行に連れて行きたい。しかしハウンの態度はどこか訝しげでセミの疑いは結局爆発する。

ソウル独立映画祭

また作品冒頭に沈没事故の概要について説明する画面が登場するが、これは日本公開用に加えられたものである。

私が最初にセウォル号沈没事故が題材という説明をしなかったのはこのためである。2回目以降は題材を把握して鑑賞することをおすすめするが、1回目は普通の高校生として見てほしいと思った。

この作品はセウォル号沈没事故の直接描写は一切ない。それどころか、後日の様子もほとんど描かれない。

この映画の韓国での様々な批評を読んだが、なかでも出版媒体・브런치(ブランチ)のサイトで見つけた記事のタイトルが印象に残っている。

영화 ‘너와 나’가 비극적 참사를 애도하는 방식
映画「君と私」が悲劇的惨事を哀悼する方法

브런치

そう、これは映画「君と私」が提示した一つの追悼の形なのである。それを強調しているのが日本公式の紹介文だ。

被害者を被害者として描かない。その前日の出来事を克明に描き、現実に何が起こったのか観客が調べる、あるいは当時を思い出して、ピースがはまり、観客は被害者でなく一人一人の余りにも尊い生を失ってしまった現実を痛感する。中で待っていろと指示を受け沈みゆく船内でどれほど怖かっただろうか。

好きな人と想いが通じ合ったセミ、セミを送り出したハウン、いつも言い合いながらも誰よりもセミを愛していたオンマ(お母さん)、いつもセミの味方で優しかったアッパ(お父さん)、衝突しながらセミを成長させてくれた同級生たち、修学旅行中でも治療に来いと無茶言うお医者さん、…彼女たちの「あの日」と「それからの日々」を思うだけで、事故の悲惨さを、私たちが失ったものの大きさを痛感することになる。

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夢と現実、生と死の境目で

物語は、セミが草むらでハウンが死んでいるという悪夢を見たことから始まる。

最初に見て引っかかったこのポスターの写真。そこにはハウンがいる。一瞬私が映画を読み違えてハウンも一緒に修学旅行に行ったのかなと思ったが、おそらくセミが夢見た理想の修学旅行だったのだろう。

この映画は「夢」が度々登場する。というか「夢」が映画そのものである。英題も「The Dream Song」だ。夢というのは過去の思い出の回想だったり、予知夢だったり、妄想だったり、いろんなものがある。映画ではそれらが予告なく突然入り込んでくるという不思議な体験をすることができる。映像も終始なんだか夢の中にいるようなふわふわした幻想的な撮り方になっている。

そして監督の死生観で印象に残っているのが以前見た受賞コメントである。世界に衝撃を与えた「D.P.」での演技で第58回百想芸術차大賞TV部門男性助演賞を受賞した時のこと。

当時闘病中だった父に向けての部分。

「お父さんが目を少し移すと窓から庭の赤い花が見えるでしょ?それは…おばあさんだよ。おばあさんがそこにいるから、お父さんは怖がらなくて大丈夫。死というのは単純に存在の様式の違いじゃないか。だからお父さん、怖がらずに最後の時間を美しく過ごしてね。この騒がしい出来事を整理して、すぐに向かいます。」

「生と死は存在の仕方が違うだけ」…監督の言葉の通り、この映画は夢と現実、生と死の境目がわかりにくい。もっと言うと、この映画が「夢と現実の境目なんて、生と死の境目なんて無い」というメッセージ性を持っているのだろう。亡くなった人がこの世界から消えるわけではない。生きている人々がそれに思いを馳せれば、そこに美しく咲いている。事故の遺族や友人たちにこの映画が少しでも위로(慰労)になってくれればと思う。

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劇中セミが鏡に映る場面が多く登場する。セミの登場シーンも鏡の中の後ろ姿である。鏡はここで過去の存在、記憶の中のものを暗示している。枠の中から出てこれない過去の存在。セミが亡くなった人物であることを示す。

最初のシーンから何度も登場する教室の鏡は、タンウォン高校の近くの道にあった実際の鏡が用いられている。監督は「この鏡は実際に多くのタンウォン高校の生徒たちを映してきたのだろう」とコメントしている。

「サランへ」とオウム

この映画が傑作であることを決定づける最後のシーン。セミはなぜあんなにも「サランへ」をジョイ(オウム)に言ったのだろうか。なぜオウムだったのだろうか。

劇中にも言及があるが、オウムの特徴は人の言葉を覚え繰り返すことである。「王蟲返し」という言葉があるように。

韓国のレビュー欄にあったこのコメントが忘れられない。

「セミが何度も何度もジョイに『サランへ』を言ったから、ジョイはきっと覚えて、セミの代わりにセミが遺した『サランへ』をアッパとオンマに言ってくれるんだろうね」

いかん。これを書きながら泣いてしまう(もう泣いている)。

あんな愛らしく憎たらしくかわいく美しい娘がいなくなった部屋で、オウムを通して娘の遺した「サランへ」を聞くことになる両親を想像すると、いたたまれない。あまりにも、あまりにもつらい。

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どちらが「君」でどちらが「私」か

「君と私」というタイトルについて考える。韓国の原題も同じ「너와 나」である。

セミとハウン、2人は똥머리(トンモリ、お団子頭)でバッグを斜め掛けしシルエットが非常によく似ている。「私」が「君」のようで、「君」が「私」のようだ。外面だけでなく内面においても自分と相手の境目がわからなくなって混乱する2人はついに爆発してしまう。

修学旅行に行ったセミと行けなかった(行かなかった)ハウン。それが生と死を分ける境目になってしまった。でも「君」は「私」だったかもしれないし、「私」は「君」だったかもしれない。

夢と現実、生と死のように「君と私」の境界線も曖昧に描かれている。

最後に:きっと、「君と私」の世界にずっといる

この映画に出会ってから1週間。私はまだ、「君と私」の世界から抜け出せないでいる。

皆の記憶に強く刻まれている「あの日」。事故を描かずに事故の前日までの日々を美しく丁寧に描くことで、事故とそれからの日々の暗さが痛いほどに際立ってしまう。素晴らしい作品だった。

事故で心を痛めた全ての人に、少しでも安らぎが訪れますように。

このページが2回目以降の鑑賞に役立てば嬉しいです。

Hana

映画『君と私』公式サイト
修学旅行の前日、君と過ごした夢のような1日──俳優チョ・ヒョンチョル長編監督デビュー作。2025年11月14日(金)渋谷...
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