「暇だ」の韓国語5個 
한가하다や심심하다など 
違い・使い分け

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「暇だ・退屈だ」の韓国語を5つ整理しました!

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한가하다の意味

한가하다 暇だ
忙しくなく余裕があること。

한가하다は「忙しくない」ことを表します。
「退屈だ・つまらない」といったネガティブな意味はありません。

例文

오늘은 손님이 없어서 한가해요.
今日はお客さんがいなくて暇です。

「忙しくない」ことを端的に表す場合は「한가하다」。
お客さんがいなくて暇で、やることがなくて退屈な時は「심심하다」と言えます。
지루하다、따분하다は「面白くない・つまらない」というニュアンスが強いです。

심심하다の意味

심심하다 することがなくて退屈だ、手持ち無沙汰だ
→することがなくて楽しくないこと。

심심하다は「することがなくて退屈だ」という時に使います。
「退屈だ」というのは、「楽しくはない」という程度で、심심하다に「つまらない」というようなネガティブなニュアンスはありません。

他の人がいる時に、相手を傷つけずに「退屈だ」と言いたい時は、この심심하다が適しています。

例文

심심한니까 영화나 볼까.
退屈だから映画でも見ようかな。

やることがなくて退屈な時は「심심하다」を使います。

한가하다だと「退屈だ」のニュアンスがなくなります。
지루하다は「同じことをずっとしていてつまらない」時に使います。
따분하다を使うと、「つまらない」というネガティブなニュアンスが生まれます。
→他の人といる時に따분하다を使うと、相手に「自分といてつまらないのか…」と思わせてしまうので、注意しましょう。

지루하다の意味

지루하다 退屈だ、飽き飽きする
→同じ状態が続いてつまらない時に使う。

지루하다は「同じ状態が続いて退屈だ」という時に使います。
「つまらない・退屈だ」というネガティブなニュアンスがあります。

例文

선생님 예기가 너무 길어서 지루하다.
先生の話がめっちゃ長くて飽き飽きする。

先生が話し続けているという「同じ状態が続いている」ので、지루하다を使います。따분하다も使えます。

한가하다は「忙しくない」時に使うので合いません。
심심하다は「やることがない」時に使い、この例文では話を聞き続けている状況なので合いません。

따분하다の意味

따분하다 退屈だ・味気ない
→面白みがなく、退屈でつまらない時に使います。

따분하다も、지루하다のように「つまらない」というネガティブなニュアンスがあります。
ただ、지루하다と違って、「同じ状態が長く続く」という条件はありません。

なので、誰かといる時にその人に向かって「따분하다」と言うと、相手が「私と一緒にいてつまらないのかな…」と思ってしまうことがありますので、注意しましょう。
심심하다を使えば、否定的なニュアンス無しに「やることなくて、手持ち無沙汰だね」と伝えることができます。

例文

따분하니까 편의점이나 다녀올까.
退屈だからコンビニでも行ってこようかな。

退屈でつまらない時は따분하다で表します。

한가하다は、ただ「忙しくない」という意味なので、「退屈だ」という意味はありません。
・やることがない時は심심하다も使いますが、ネガティブなニュアンスは含まれません。
지루하다は「同じ状態が長く続いて飽き飽きする」時に使うので、この例文で지루하다に言い換えられる状況はあまりないかなと思います。

무료하다の意味

무료하다 退屈だ、手持ち無沙汰だ
→興味や意欲がなく退屈な時に使います。

심심하다とほぼ同じで、「やることがない=手持ち無沙汰だ」という時に使います。
ただ、少し年配の方が使う感じがする言葉です

まとめ

한가하다:暇だ 
→「忙しくなく余裕がある」ことを端的に表す言葉。

심심하다:することがなく退屈だ 
→手持ち無沙汰な時に使う。ネガティブなニュアンスはない。

지루하다:飽き飽きする 
→同じ状態が続いてつまらない時に使う。ネガティブなニュアンスが含まれる。

따분하다:退屈だ
→退屈で面白くない・つまらない時に使う。ネガティブなニュアンスが含まれる。

무료하다:手持ち無沙汰だ
→심심하다とほぼ同じで、「手持ち無沙汰だ」という意味。ただ、少し年配の方が使う感じ。

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